・【修士論文】
「合唱曲から見たL.ヤナーチェクの初期(1873-1885年)における民謡観:クシーシュコフスキー及びドヴォジャークとの比較を通して」(L. Janáček's Views on Folk Song in His Early Years (1873-1885) from the Perspective of His Choral Works:Through Comparison with Křížkovský and Dvořák) , 京都市立芸術大学 大学院音楽研究科, 2024.3
要旨
本研究の目的は、レオシュ・ヤナーチェク(1854-1928)の合唱曲に焦点を当て、彼の初期(1873−1885)におけるモラヴィア民謡に対する民謡観を明らかにすることである。
研究の方法として、第1章では民族復興運動(Národní obrození)と「汎スラヴ主義」の歴史的背景を踏まえ、モラヴィア民謡を創作に取り入れた作曲家、パヴェル・クシーシュコフスキー(1820-1885)とアントニーン・ドヴォジャーク(1841-1904)の合唱曲と民謡を比較することで、ヤナーチェク以前の芸術音楽とモラヴィア民謡との関連性を探った。第2章では、ヤナーチェクが合唱指揮者・指導者として関わった2つの演奏団体の歴史と活動、性格の違いを捉えた上で、彼の創作との関わりを捉えた。第3章では、ヤナーチェクに対するクシーシュコフスキーやドヴォジャークの影響を踏まえ、彼の初期合唱曲におけるモラヴィア民謡との関連性と民謡観について研究を行った。
研究の結果、ヤナーチェクの初期の創作には、民族復興運動や「汎スラヴ主義」、演奏団体との関連、クシーシュコフスキーやドヴォジャークによる影響など、様々な要因が創作の方向性に影響を与えていたことが分かった。民族復興運動や「汎スラヴ主義」との関連においては、創作の源泉をスラヴ各地の民謡に求めたことが挙げられ、演奏団体との関わりでは、団体の性格に応じた創作素材の選択、演奏技術に合わせた創作上の工夫が挙げられた。何よりクシーシュコフスキーやドヴォジャークの影響に関して、前者はヤナーチェクがモラヴィア民謡を合唱曲の創作の源泉とするきっかけをもたらしたと考えられ、ヤナーチェクの1870年代の創作には、特に彼らの作曲法の類似が見られた。またドヴォジャークとの比較においても、彼らはモラヴィア民謡を用いた創作において共通の要素を取り入れていた。様々な影響が挙げられる一方、ヤナーチェクの合唱曲を見ると、各民謡が持つ要素を取捨選択した上で新たな旋律に組み込むという創作の姿勢をもち、一部他のスラヴの民謡で行われている作曲法がモラヴィア民謡での創作にも含まれていることが確認できた。
以上より、ヤナーチェクは初期においてモラヴィア民謡を創作の中心的な素材とし、「スラヴ音楽」を創作する上で必要な音楽的要素が内包した「スラヴ性」を反映した民謡だと認識していた、という結論が導かれた。