やよいミュージアムコンサート2025 vol.8「音楽で巡る幻影の画廊」(2025/09/07)
やよいミュージアムコンサート2025 vol.8「音楽で巡る幻影の画廊」(2025/09/07)
◎プログラムノート(曲目解説)
解説:安藤 元宏
ショパン(Fryderyk Chopin, 1810-1849)はポーランドの作曲家で、ピアニストとしても活躍しました。そのため作品のほとんどをピアノ作品が占め、古典派の形式美に多彩な和声感覚を組み合わせ、ロマン派を代表する作曲家として数多くの作品を生み出しました。
本作品は1830年から1831年頃に作曲され、最初期のノクターン集の第2番として出版されました。「ノクターン」という音楽ジャンルの先駆者であるジョン・フィールド(John Field, 1782-1837)の影響がしばしば指摘されるように、一つの旋律に分散和音を重ねる構造や曲想には類似が認められます。また「ノクターン」の根底には声楽の模倣があり、本作品ではショパンならではの自由な装飾やベルカント風に歌う旋律、豊かな和声変化が見られます。冒頭に登場する旋律は、曲が進むにつれ装飾音を増し旋律の美しさが際立つ表現へとつながっていきます。
ショパンは弟子に対して「自由なテンポで(tempo rubato)」の演奏法について「左手は時間を支配し(厳密に拍を守り)、右手は語るように自由に朗誦する」と語りました。本作品には「自由に(rubato)、表情豊かに(espressivo)」というの指示があることや、曲の構造から考えるとショパンの語った演奏法がこの作品にも適していると推察できます。このシンプルな旋律が時の流れに揺らぎながら変化してゆく姿からは、ショパンの詩情をも感じることができるでしょう。
シベリウス(Jean Sibelius, 1865-1957)はフィンランド出身の作曲家で、自国の自然や国民性への解釈を音楽へと投影していきました。多くのオーケストラ作品を生み出したことでも知られ、中にはフィンランドの民族叙事詩『カレワラ』から着想を得た作品も含まれ、1917年に独立を果たすまで帝政ロシアの支配下にあった当地域の民族意識を高めることにも貢献しました。彼はオーケストラ作品を作曲する際、ピアノ上でその草稿を行うこともあったことから、ピアノ作品にはオーケストラを思わせる音響効果が見られることがあります。
《10の小品》Op.24は1894年から1901年にかけて作曲された小品集で、その第9曲あたる本作品は1901年に完成しました。作品集はナショナル・ロマンティシズムの傾向を窺わせる要素が見られ、代表作である《フィンランディア》の讃美歌部分に登場する旋律とほとんど同じものが登場します。本作品では、冒頭の左手にこの甘美な旋律が登場し、これが中心的な主題として扱われます(以下譜例参照)。
曲が進むにつれこの旋律が次第に高まりを見せ、クライマックスではオーケストラのような重厚な響きを生み出します。小品でありながら深い情感とスケールを備えシベリウスのピアノ作品らしさが表れた一曲です。
ドビュッシー(Claude Debussy, 1862-1918)はフランスの作曲家として知られ、その音楽様式から同時代の美術における「印象派」と比較されることが多い一方で、その実文学の「象徴派」との結びつきの方がより強調されます。実際、彼は象徴派の詩人らのサークルに参加し、ヴェルレーヌ(Paul Verlaine, 1844-1896)やマラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842-1898)らの詩から多くの霊感を得ました。ドビュッシー自身「印象派」という呼称を好んでいなかったとされ、増和音や9・11・13度の和音、全音音階、ペンタトニックなどの語法により従来の調性を拡張した、曖昧で漂うような響きを生み出しました。
本作品を含む《ベルガマスク組曲》は「前奏曲」「メヌエット」「月の光」「パスピエ」の4曲から成り、その第3曲に位置する「月の光」は、ヴェルレーヌの詩『雅なる宴 (Fêtes galantes)』からの影響を受けたとされています(以下参照)。
Votre âme est un paysage choisi
Que vont charmants masques et bergamasques
Jouant du luth et dansant et quasi
Tristes sous leurs déguisements fantasques.
Tout en chantant sur le mode mineur
L'amour vainqueur et la vie opportune
Ils n'ont pas l'air de croire à leur bonheur
Et leur chanson se mêle au clair de lune,
Au calme clair de lune triste et beau,
Qui fait rêver les oiseaux dans les arbres
Et sangloter d'extase les jets d'eau,
Les grands jets d'eau sveltes parmi les marbres.
Paul Verlaine "Clair de lune"
あなたの魂は選ばれた風景
そこへ魅力的な仮面を纏う人々とベルガマスクの踊り子が来る
リュートを奏で踊りながらも
幻想的な装いの下でどこかもの悲しげである
彼らは短調の調べで歌う
愛の勝利と幸運な人生を
だがその幸運を信じられないようで
彼らの歌は月の光に溶けてゆく
その静かな月の光は悲しくも美しく
木々の鳥を夢見させ
そして噴水の水を恍惚にすすり泣かせる
大理石の像の間に立ちのぼる大きな噴水を
詩の一節には、静かな「月の光」が歌の調べと溶け合い、それがもの悲しくも美しくもある様子が描写されています。曲全体はシンプルな三部形式をとりながらも、音色の移ろいと和声の変化によって絶えず表情を変えます。ドビュッシーならではの詩の印象の反映や、浮遊感のある和声の響き、繊細な音色は聴く者を幻想的な世界へと誘います。
マルチヌー(Bohuslav Martinů, 1890-1959)はチェコの作曲家で、様々なジャンルの作品を残しチェコだけでなくパリ、アメリカと活動の拠点を移しながら活躍しました。
1920年、知り合いより異国情緒豊かな鳥や蝶の標本コレクションを見せてもらったマルチヌーは、色とりどりに輝くハネに魅了され、中でも極楽鳥の美しさに目を奪われました。これが《胡蝶と極楽鳥》を作曲するきっかけを与えたと言います。《胡蝶と極楽鳥》は「花の中の胡蝶」「胡蝶と極楽鳥」「海辺の極楽鳥」の3曲から成り、「蝶」と「極楽鳥」それぞれの旋律やモティーフが各曲で散りばめられています。
第1曲「花の中の胡蝶」では、蝶の羽ばたきと煌めきがリズムや和声によって表現されています。作曲当時、マルチヌーはドビュッシーに憧れを抱き、パリで勉強することを夢見て準備を進めていました。その影響もあってか響きの揺らぎや繊細な色彩感はどこかドビュッシーを想起させます。蝶がひらひらと舞う様子、羽を伸ばして花の中で休む様子などいろいろな想像を掻き立てます。
スメタナ(Bedřich Smetana, 1824-1884)は指揮者、教師、評論家としても活躍したチェコの作曲家で、「チェコ国民音楽の父」と称されることもある人物です。その貢献は芸術音楽に「チェコ人」の民族性・文化を融合し、チェコ国民音楽を形づくったことにあります。18世紀後半から19世紀にかけてオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあったチェコでは、ドイツ文化の影響が広がり知識人を中心とした都市部の中流階級に「民族復興運動(Národní obrození)」が伝播していきました。この運動は、言語をはじめとする様々な文化(文学、芸術等)に光を当て、「チェコ人」としてのアイデンティティを取り戻そうする動きのことを指します。スメタナの母国語はドイツ語でしたが、「チェコ人」として当該言語を習得することが必要だと考え勉強し、1860年以降には音楽においてもチェコ特有の民族性・文化を反映した作品を生み出すようになりました。
民族復興運動の広がりに伴い、ボヘミア地方、次いでモラヴィア地方でも民謡収集が活発に行われるようになりました。これらの民謡は収集家や研究者の手により編纂され、民謡集として出版されることになります。その一つに、ボヘミア地方の民謡を数多く収録した民謡集『チェコ民謡と俚諺(Prostonárodní české písně a řikadka:1862)』があります。これはエルベン(Karel Jaromír Erben, 1811-1870)とマルチノフスキー(Janem Pavlem Martinovský, 1808-1873)が共同で編纂したもので、本作品にはこの民謡集から採られた4つの民謡が登場します(以下譜例参照)。
民謡① Letěla husička
民謡② Měla sem chlapce, nemám nic
民謡③ Váša slouhů ten má troubu
民謡④ Slyšel jsem, miděl jsem koničky řehtati
曲全体は4つの民謡を組み合わせた変奏曲風の構成で、素朴な民謡の旋律が次々と展開され、最後には全奏により壮麗なフィナーレを迎えます。民謡の直接引用が稀であったスメタナにとって4つの民謡を組み合わせた本作品は、彼の「チェコ人」としてのアイデンティティや強い愛郷心の表明としても位置付けられるでしょう。素朴なボヘミア民謡がスメタナの手によって幻想曲として昇華される様を聴き取ることができます。
ムソルグスキー(Modest Mussorgsky, 1839-1881)は「ロシア五人組」の一人としても知られ、独学ではありましたが特にオペラや歌曲のジャンルにおいて大きな足跡を残しました。一方でその生涯は孤独と貧困に溢れ、いくつかの作品が未完成のままこの世を去りました。
生前彼は作曲家として評価されることはあまりありませんでした。自信作であった『ボリス・ゴドゥノフ』も聴衆にこそ好評でしたが、批評家や劇場関係者から満足な評価を得ることはできず、改訂を余儀なくされました。この頃から彼の人生には翳りが見え始め、徐々に酒に溺れ困窮していきます。1873年、親友で建築家のハルトマン(Viktor Hartmann, 1834-1873)が急逝し、ムソルグルキーは親友の死にひどく心を痛めます。そんな中彼ら二人と親交のあった芸術評論家のスターソフ(Vladimir Stasov, 1824-1906)は、翌年にハルトマンの遺作展を企画します。この展覧会には400点をも越える作品が展示され、遺作展を訪れたムソルグスキーは親友の作品から得た印象を音楽として残そうと考えます。彼はすぐに作曲に着手し、わずか20日で本作品を完成させスターソフに献呈しました。
20世紀初頭の動乱や戦争の中で、無名だったハルトマンの作品はその多くが散逸し音楽との対応が確認できる作品は、「卵の殻をつけた雛の踊り」「サムエル・ゴールドベルクとシュムイレ」「カタコンベ」「バーバ・ヤガーの小屋」「キーウの大門」の5曲(6枚の絵画)です。今回はそれに加え、1990年台に行われたNHKの調査を元に推測される候補の絵を以下に提示しながら、一つひとつの作品を見ていくことにします。
1.第1プロムナード — グノーム(小人)
プロムナードとはその名の通り、展覧会を散歩する様子を描写したものです。ムソルグスキーはこの作品について、才能豊かな故人を喜びと悲しみとともに偲ぶ自身の姿を表現し、「急ぐことなく、注意深く観察」している様子を描いていると語ります。5/4拍子と6/4拍子の組み合わせによる不規則な拍感はじっくり歩みを進める様子を表しているかのようです。旋律は素朴なロシア民謡風ですが、堂々とした輝かしい雰囲気が特徴的です。
「グノーム」は、ロシアの伝説に登場する地の底に住む奇妙な格好をした小さな妖怪のことを指します。ハルトマンの絵には、子どものおもちゃとして使われていた木製のくるみ割り人形が描かれています。地の精があちこち駆け回ったり、少しずつ近づいてきたり、ときには大声をあげて怒ったり。半音階の進行と次々と変化する曲想が特徴的な曲です。
2.第2プロムナード — 古城
第2プロムナードでは、第1プロムナードと同じ旋律を使いつつも穏やかな性格を帯びています。後半には作品の最後にも登場する鐘の響きが、左手、次いで右手に登場します。次の「古城」に向けて消え入るように属音で終止します。
スターソフは「古城」の絵には、中世の城が描かれその前でトルヴァドゥール(吟遊詩人)が歌っていると説明しています。これをもとに推測される絵には、城の前で佇む人影が見えます。左手のバスは一定のリズム(2:1)を刻み続け、堂々と揺らぐことのない安定感を感じさせます。その上に響く右手の旋律は自由に表情豊かな旋律を奏で、吟遊詩人が歌う様子を描写しています。その声は次第に遠のき消えていきます。
3.第3プロムナード — テュイルリーの庭 遊びのあとの子供たちの喧嘩
第3プロムナードはわずか8小節しかないものの、右手の主旋律に加え左手は対位法的に加わり音の厚みを増していきます。やがて左手は半音階の進行に変わりユニゾンへと移行することで、次の曲に向けた準備を整えます。
「テュイルリーの庭」は、スターソフによると、パリのテュイルリー公園で遊ぶ子どもたちと母親の婦人の絵画に基づいているようです。ムソルグスキーの作品では、ただ絵を描写するのでなく彼自身が解釈しイメージした子どもの姿が描かれています。子どもたちがあちこち走り回る姿や飛んだり跳ねたりする姿、口喧嘩する姿、あるいは母親を呼ぶ声が聞こえてくるかもしれません。全体を見ると大きく2つの部分に分かれており、最後には冒頭の旋律がつぶやくように登場し、遊び心を感じる愛らしい終わり方をします。
4.ビドロ(牛車)
「ビドロ」とは、ポーランドの牛車を指し、音楽からは重い荷物を乗せ足を引き摺るかのような重々しい雰囲気を感じます。前曲とは対照的に、冒頭はフォルティシモで始まり牛車の登場が効果的に描き出されます。
ハルトマンの作品目録には牛や荷車に関連する絵は掲載されておらず、ムソルグスキーがこの曲の題名を書き換えたことや、この題名をスターソフが質問したところ意味深な回答をしたことなどもあり、この作品については様々な憶測がされています。実際にNHKの調査では、葬送行進曲のような曲想と社会的背景、「ビドロ」が「虐げられ人々」を意味する言葉でもあることから、ハルトマンが描いた「ポーランドの反乱」が元になった可能性が高いと結論づけられています。左手で刻み続けられる鎖をひきづるような低音の和音の響きや暗い曲想は、こうした暗い時代を想起させ、聴く者に牛に重ね合わされた人々の苦しみを連想されるかもしれません。
5.第4プロムナード — 卵の殻をつけた雛の踊り
第4プロムナードでは、これまでのプロムナードとは異なり静寂を伴った短調の響きによって奏でられます。終盤には次の曲の断片が登場し雛の登場が暗示されます。
「卵の殻をつけた雛の踊り」は、対応するハルトマンの絵が明らかになっている作品です。そこには、サンクトペテルブルクの劇場で上映されたバレエの衣装デザインが描かれています。卵の殻の衣装はかなり斬新で特に甲冑のような殻とヘルメットのような頭はムソルグスキーの関心を惹きました。低音の「ビドロ」の響きとは違い、ピアノの高音部を巧みに使い装飾音やトリルを多用することで、生まれたての雛が歩き回る様子や軽やかに跳ねる様子が描写されています。
6.サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ
「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」は2枚のユダヤ人の絵が元になっています。ハルトマンはポーランド南東部の町サンドミールを訪れた際に、そこの人物や風景をスケッチしました。その一つ「金持ち(左)」と「貧乏人(右)」の2枚の絵を見たムソルグスキーは、この2人の対照的な人物像を音楽上でも鮮やかに描き出します。
冒頭のフォルテで始まる勢いのある旋律は、金持ちを表し貧乏人に対して威張り散らすような勢いを感じる一方で、中間部からは細かな同音の連なりによって弱気な貧乏人が登場します。それぞれの人物を象徴する旋律が交互に登場することで、それぞれの人物が会話しているような雰囲気が感じられます。
7.第5プロムナード — リモージュの市場
第5プロムナードは第1プロムナードと酷似していますが、両手のユニゾンで始まり中間部でも左手の動きが増すことで、作品の後半に向けた繋ぎの役割を果たします。
リモージュとはフランス中部に位置する都市で、この地に滞在していたハルトマンがその市場にいる口論する老女たちの様子をスケッチしたものが元になっていると推測されます。スターソフは音楽では市場で叫び声を上げ、議論し、おしゃべりし、口論する群衆を描いている、と説明しています。候補として挙げられる絵の一つには、2人の人物が取っ組み合いを始め、激しく争う様子が見られます(左下)。軽快なテンポに加え、絶えず刻まれる16分音符がこの曲を一層目まぐるしいものに変えます。全体の中でも特にピアニスティックな曲で、最後のコーダでは高速で左右で交互に演奏され、激昂するかのように半音進行で駆け上がります。
8.カタコンべ ( ローマ時代の墓) — 死せる言葉による死者への呼びかけ
騒々しい雰囲気から一転、パリにある墓地へと場所を変えランプの光で照らされる頭蓋骨が浮かび上がります。シルクハットをかぶった人物はハルトマンと彫刻家のケネルで地下墓地「カタコンベ」を訪れる姿が描かれています。「死」の重苦しい空気をまとい、死者の世界を彷徨うような雰囲気が漂います。
続く「死せる言葉による死者への呼びかけ」では、冒頭のプロムナードが薄暗い闇に溶け合うように響きます。ムソルグスキー自身の姿の投影として挿入される「プロムナード」が、「カタコンベ」の死の世界と組み合わせることによって、彼自身が絵の中のハルトマンに身を寄せ、内省するかのような曲想が感じられます。高音のトレモロや旋律と共に変わりゆく和音が鳴り響きます。
9.バーバ・ヤガーの小屋 (鶏の足の上に建っている小屋)
「バーバ・ヤガー」とは、ロシアの伝説に登場する魔女のことを指します。ハルトマンはこの魔女の小屋を題材として掛時計の図案を作成しました。時計の足は鶏の足でできており不気味で歪な様相を呈してます。伝説上の魔女は森の奥底にあるこの小屋に住み、あちこちを駆け巡りときには人を襲うこともあると言います。慌ただしくも恐ろしい曲想は全体の中でも一際目を惹きます。
曲全体は大まかに分けると3部形式になっており、最初に提示される力強い旋律はアクセントを伴い野蛮で荒々しいものですが、中間部では主旋律が左手へと移り怪しげな空気に変わります。終結部では半音階で勢いよく登っていき重厚なフィナーレへと進んでいきます。
10.キーウの大門
最後の曲である「キーウの大門」は、キーウ(キエフ)に建設予定であった騎兵の門のコンペのためにデザインされた絵が元になっています。社会情勢の影響でコンペは中止になり、この絵が建設されることは叶いませんでしたが、この絵は大きな反響を呼びハルトマンの代表作とも言われています。建物を見てみると、古典のロシア建築によく見られる要素を取り入れつつも、カラフルでハルトマンらしい独創性に富んだデザインとなっています。向かって右側には3つの鐘も描かれており、これらの建築の古典的要素と鐘は音楽にも取り入れられています。
冒頭の旋律は重厚な和音とともに奏でられ、それが終わると急激に強弱は弱まり4声の讃美歌が遠くから聴こえたかと思うと、再び冒頭の旋律が交奏によって響きます。中間部では絵にも描かれる鐘の音が左手で鳴り続け、右手にはプロムナードの旋律が再び登場します。最後のコーダでは冒頭の旋律が再び登場し、10曲全体の締めくくりへと向かってこれ以上ないほど規模を増していきます。これまで蓄積してきた全てのエネルギーが解放され、シンプルな和音を使用しつつ壮大かつ感動的な鐘の響きとともに全曲の幕を閉じます。
○参考文献
・Michael Russ(1992) "Musorgsky:Pictures at an Exhibition" Cambridge
・ジム・サムスン(大久保賢[訳]) (2012)「ショパン 孤高の創造者 人・作品・イメージ」春秋社
・Ruusamari Teppo(2019)"Jean Sibelius’s Compositional Style 1899/1903: A Comparative Analysis of the Orchestral and Piano Versions of FINLANDIA"
・「ムソルグスキー:展覧会の絵」全音楽譜出版社
・Minqi Shi(2023)"Analysis of Claude Debussy’s Claire de Lune" Journal of Humanities, Arts and Social Science, 7(8), 1666-1671.
・https://www.oxfordmusiconline.com/grovemusic (最終閲覧日:2025/09/05)
・https://lidoveprameny.cz/ (最終閲覧日:2025/09/02)
・https://database.martinu.cz/works/public_view/125 (最終閲覧日;2025/08/25)
○画像
[1-4] 著作権配慮のため生成AIにより原画を再構成したものを使用
[5-10] Viktor Hartmann, sketch (Public Domain, via Wikimedia Commons)