やよいミュージアムコンサート2026 vol.10「紡がれた想いと響きの対話:ロマン、そして現代へ」(2026/09/27)
やよいミュージアムコンサート2026 vol.10「紡がれた想いと響きの対話:ロマン、そして現代へ」(2026/09/27)
◎プログラムノート(曲目解説)
解説:安藤 元宏
メンデルスゾーン(1809-1847)は、古典派の均整のある形式美を基盤としながら、ロマン派特有の抒情性や色彩的な和声を取り入れ、独自の書法を築いたドイツの作曲家です。
《無言歌集》は、その名の通り言葉を伴わない「歌」として表現されたピアノ作品です。全48曲の性格的小品からなり、心情や情景を想起させる親しみやすい歌唱的な旋律を特徴としています。19世紀前半、ピアノがヨーロッパの中産階級の家庭に急速に普及する中、家庭で演奏できる小規模で抒情的ピアノ曲への需要が高まりました。《無言歌集》もこうした家庭音楽の文化と密接に結びつき、アマチュア演奏家を含む幅広い人々に親しまれていきました。
第1曲にあたる本作品は、こんにちでは「甘い思い出」の名で親しまれていますが、この題名はメンデルスゾーン自身が付けたものではなく、後世の出版・普及の過程で付けられたものです。左手に絶え間なく流れる16分音符の伴奏の上に、一つの歌が静かに浮かび上がり、その柔らかな旋律からはこの題名のみならず、様々な想像が膨らみます。和声の変化の中で繰り返し登場する主題が情感豊かに歌い、まさに言葉を用いることなく、ピアノそのものに「歌わせる」という、《無言歌集》という作品の性格を端的に示す一曲です。
ブラームス(1833-1897)は、先人たちが築いた伝統を深く学び、それを自身の音楽として再解釈することで、新たな響きを生み出したドイツの作曲家です。古典的な形式や構成を基盤としながら、重厚な響きや繊細な感情、緻密な対位法を織り込み、独自の語法を築いていきました。
本作品は、ブラームスの最晩年にあたる1893年の夏、60歳を迎え、オーストリアの温泉保養地バート・イシュルで作曲したものです。最初の4曲を受け取ったクララ・シューマンは、同年9月2日の手紙の中で、ブラームスが「最も小さな枠の中に、豊かな感情」を表していることへの驚きを書き残しています。それぞれが数分ほどの小さな作品でありながら、その内には、彼の繊細な感情の揺れ、複雑な和声や対位法が凝縮されています。6曲のうち4曲は「間奏曲(Intermezzo)」という名がついており、何かと何かをつなぐというよりも、聴き手にその前後を想像させる余地を残しているような印象を与えます。
第1曲 「間奏曲」イ短調
冒頭には、アルペジオを伴った情熱的な動機が大きくうねるように現れます。この動機が作品全体の中で姿を変えながら何度も鳴り響き、時に憂いを帯び、時に高まりながら音楽を前に進めていきます。「間奏曲」という名称から想像される内省的で静かな性格とは大きく異なり、短い作品の中に劇的な起伏が詰まっています。イ短調で始まった音楽は、最後にはイ長調の穏やかな響きへと移り変わり、続く第2番を自然に導きます。
第2曲 「間奏曲」イ長調
ブラームスのピアノ作品の中でも、とりわけ単独で演奏される機会の多い作品です。大きく三部構成をとり、抒情的な旋律の中に、ブラームスの緻密な書法が数多く内包されています。内声の旋律、繊細に移ろう和声、2対3で交錯する複合的なリズムなど、飾らない静かな旋律の内側で、複雑な声部やリズムが交錯しています。冒頭には、「優しく、愛情を込めて(teneramente)」と記されており、語りかけてくるような旋律がこの作品を特徴づけています。
第3曲 「バラード」ト短調
6曲の中でもひときわ力強く、英雄的ともいえる性格をもち、第2曲とのコントラストを生み出します。「バラード」という名称は、物語的な性格と結びついたロマン派のジャンルを想起させますが、具体的な物語は示されてはいません。力強く進む両端の部分の間に、調性や響きも大きく異なる穏やかな中間部が置かれ、「動ー静ー動」という対照の中で劇的な音楽が展開されます。
第5曲 「ロマンス」ヘ長調
クララ・シューマンも特に強く惹かれた作品の一つです。「ロマンス(Romanze)」という名をもつ本作品は、ブラームスが過去の音楽を深く学び、自らの語法へと取り込んだ姿がよく表れています。冒頭の旋律には、16世紀頃から用いられてきた「ロマネスカ」と呼ばれる古い和声進行の定型がほのかに組み込まれています。中間部では、一つの音型をもとに音楽が次第に細分化され、変奏を重ねるように進んでいきます。歌謡的な旋律の中に高度な対位法が用いられ、ブラームスが築き上げた語法が色濃く表れた作品の一つです。
ドビュッシー(1862-1918)は、19世紀末のフランスの象徴派文学と深く結びつきながら、独自の音楽語法を築き上げた作曲家です。全音音階や五音音階、教会旋法、さまざまな付加音を含む和声などを使い、従来の機能和声による調性を拡張し、色彩が移ろうような独特な響きを生み出しました。
「花咲くクローバーの上に腰をおろし、朝の涼しさのなかで歌うのは誰だろう。それは亜麻色の髪の乙女、さくらんぼのような唇をもつ、美しい娘。夏の明るい陽のもとで、愛は雲雀とともに歌った。…」
これは、フランスの詩人ルコント・ド・リール(1818–1894)の『古代詩集』に収められた詩「亜麻色の髪の乙女」の一節です。花咲く草原、夏の光、雲雀の歌声、そして亜麻色の髪を持つ若い女性が、牧歌的な風景の中に描かれています。ドビュッシーは、若き日1881年に、この詩を用いて歌曲を作曲しました。その約30年後、若い頃に歌曲化したこの詩のイメージに立ち返り、別のピアノ作品として本作品を書きました。冒頭に現れる素朴で歌うような旋律は、五音音階を基調としており、姿を変えながら何度も現れ、拡大、変奏されながら作品全体に統一感を与えています。明確な終止感は弱められ、プラガル的な和声進行や柔らかな和音の移ろいによって、ゆったりとした響きが形作られます。またドビュッシーは、《前奏曲集》の各曲の題名を冒頭ではなく、曲の最後に括弧付きで記しました。題名によってあらかじめ情景や意味を固定するのではなく、まず音楽そのものに触れ、その後に示される言葉から想像を広げる、といった聴き方を促すような効果が考えられます。草原、夏の光、歌声、それらは具体的に描写されるのではなく、柔らかな旋律と移ろう響きの中で立ち現れてきます。
LA FILLE AUX CHEVEUX DE LIN.
Sur la luzerne en fleur assise
Qui chante dès le frais matin ?
C’est la fille aux cheveux de lin,
La belle aux lèvres de cerise.
L’amour, au clair soleil d’été,
Avec l’alouette a chanté.
Ta bouche a des couleurs divines,
Ma chère, et tente le baiser !
Sur l’herbe en fleur veux-tu causer,
Fille aux cils longs, aux boucles fines ?
L’amour, au clair soleil d’été,
Avec l’alouette a chanté.
Ne dis pas non, fille cruelle ;
Ne dis pas oui ! — J’entendrai mieux
Le long regard de tes grands yeux,
Et ta lèvre rose, ô ma belle !
L’amour, au clair soleil d’été,
Avec l’alouette a chanté.
Adieu les daims, adieu les lièvres
Et les rouges perdrix ! — Je veux
Baiser le lin de tes cheveux,
Presser la pourpre de tes lèvres !
L’amour, au clair soleil d’été,
Avec l’alouette a chanté.
亜麻色の髪の乙女
花咲くクローバーの上に腰をおろし
朝の涼しさのなかで歌うのは誰だろう
それは亜麻色の髪の乙女
さくらんぼのような唇をもつ美しい娘
夏の明るい陽のもとで
愛は雲雀とともに歌った
おまえの唇はこの世ならぬ色に染まり
愛しい人よ口づけを誘っている
花咲く草の上で 語り合わないか
長い睫毛の娘よ やわらかな巻き毛の娘よ
夏の明るい陽のもとで
愛は雲雀とともに歌った
「いや」とは言わないで つれない娘よ
けれど「いいわ」とも言わないで そのほうがもっとよく聞こえるから
大きな瞳が長く注ぐその眼差しも
薔薇色の唇も ああ美しい人よ
夏の明るい陽のもとで
愛は雲雀とともに歌った
さらば鹿たちよ さらば野兎たちよ。
そして赤い山鶉たちよ 私はもう
おまえの亜麻のような髪に口づけし
その深紅の唇を この胸に抱きしめたい
夏の明るい陽のもとで
愛は雲雀とともに歌った
マルチヌー(1890-1959)は、チェコで生まれ、のちにパリやアメリカへと活動の場を広げながら、様々なジャンルの作品を残した作曲家です。チェコの音楽的伝統を基盤としながら、フランス音楽や新古典主義など、時代ごとのさまざまな潮流を取り入れ、自身の作風を築いていきました。
知り合いより異国情緒豊かな鳥や蝶の標本コレクションを見せてもらったマルチヌーは、色とりどりに輝くハネに魅了され、中でも極楽鳥の美しさに目を奪われました。これが《胡蝶と極楽鳥》を作曲するきっかけを与えたとされています。1920年に作曲された《胡蝶と極楽鳥》は、「花の中の胡蝶」「胡蝶と極楽鳥」「海辺の極楽鳥」の3曲からなるピアノ作品です。異国的で色彩豊かな題材をもとに全体が構成され、蝶と極楽鳥それぞれの旋律やモティーフが3曲に散りばめられています。
第3曲にあたる本作品は、3曲の中で最も規模の大きな作品です。広々とした海を思わせる空間的な響きと、極楽鳥の鮮やかな羽ばたきを思わせる華やかな音型が重ねられ、前2曲で現れた世界がより大きな広がりを持って展開されています。作曲当時、マルチヌーはフランス音楽、とりわけドビュッシーの語法に強い関心を寄せ、パリで勉強することを夢見て準備を進めていました。本作品にもその影響が見られ、和声の揺らぎや柔らかな色彩感には、どこかドビュッシーを想起させるものがあります。冒頭に現れる極楽鳥を思わせる主題は、その後も姿や規模を変えながら何度も登場し、作品全体を形作っています。高音域に散りばめられた装飾的な細かな響きは、光をうけて煌めく羽や、鳥の鳴き声を連想させます。後半部分では、特に音楽が高まりを見せ、劇的な場面も見られます。視覚的なイメージを多彩な音型や和声へと置き換えた、マルチヌーの初期の作風をよく示す作品です。
ラヴェル(1875-1937)は、鋭い感性をもって過去の音楽や異国の文化などを取り込み、色彩豊かな中に緻密な作曲技法を用いて、独自の音楽世界を創り上げたフランスの作曲家です。
組曲《鏡》は1904~1905年に作曲された5曲からなるピアノ作品で、ラヴェル自身ものちに、自らの和声語法に大きな変化をもたらした作品として振り返っています。その第4曲にあたる本作品は、スペイン的な色彩と高度な演奏技巧が結びついた作品です。
原題「Alborada del gracioso」の「alborada」は朝の歌、または朝のセレナードを意味します。「gracioso」はスペイン喜劇に登場する、機知に富んだ道化役を指す言葉です。音楽には、芝居がかった身振りや皮肉めいた表現が現れ、まるで道化役が朝のセレナードを演じる一場面のような世界が広がります。
ラヴェルにとってスペインは、単なる異国趣味の対象ではありませんでした。母はバスク系の家系に生まれ、若い頃にはマドリードで暮らした経験もありました。ラヴェルは幼い頃から、母を通してスペインの歌や文化に親しんでおり、彼の音楽には時折スペイン的なリズムや音色が現れます。本作品では、ギターのラスゲアード奏法を思わせる掻き鳴らすような激しい反復音や鋭い和音、カスタネットを連想させる乾いたリズムなど、スペイン舞曲を想起させる音型や響きが随所に織り込まれています。しかし、中間部に入ると、それまでの鋭く戯けた場面から一変し、突如として自由に語りかけるような旋律が現れます。前までのリズミカルな旋律と対照的に、どこか憂いを帯びた響きがあり、道化の仮面の奥から、内面的な表情がのぞくようにも感じられます。その後、再び冒頭の身振りが登場し、音楽は次第に勢いと緊張を増しながら、鮮烈な終わりへと向かっていきます。異国の要素をただ取り入れただけでなく、スペイン的な要素をラヴェル独自の和声やピアノの書法へと取り込み、一つの舞台を思わせる鮮やかな世界を形作っています。
フォーレ(1845-1924)は、ロマン派から受け継いだ音楽語法を基盤としながら、和声や旋法、声部の進行を洗練させ、19世紀から20世紀へと向かうフランス音楽を繋いだ作曲家です。
「ドリー」とは、エレーヌ・バルダックという少女の愛称です。彼女の母エンマ・バルダックは歌手で、フォーレと親しい交流をもっていました。フォーレはドリーの誕生日や新年など、家族の節目に合わせて小品を書き、それらが次第に一つの組曲としてまとめられていきました。全6曲からなる組曲《ドリー》は、フォーレの器楽曲としては珍しく、それぞれに具体的な題名が付けられています。子どもの世界を題材としながらも、素朴な旋律の中にフォーレ特有の繊細な和声やリズム、声部の重なりが織り込まれ、彼の音楽性を生かした作品です。
第1番 「子守歌」
冒頭を飾る「子守歌」は、自身が学生時代に作曲した作品をもとに、約30年後に再構成して作曲したものです。組曲の中でも最もよく耳にする本作品は、素朴でありながら何処か懐かしさを感じる旋律線を描きつつ、フォーレらしい和音の移ろいが随所に聴かれます。ⅠとⅡのパートは、それぞれ伴奏と旋律という形で重なり合い、柔らかく揺れる伴奏に旋律が溶けこみ、単純な子守歌の中にフォーレらしい陰影を感じます。
第2番 「ミ・ア・ウー」
この題名は、ドリーが兄ラウル(Raoul)を呼ぶ際に、まだ幼く舌が回らなかったためにその時呼んでいた、「Messieu Aoul!」がそのまま題名として用いられました。その後、出版に際して現在の「ミ・ア・ウー(Mi-a-ou)」という名前に変更されました。音楽は、Ⅰパートの跳躍を伴う軽快な音型が生き生きと駆け回り、それをⅡパートが支えます。スケルツォのような快活な雰囲気の中に、幼いドリーと兄とのやり取りを思わせるようなユーモアと遊び心を感じる作品です。
第3番 「ドリーの庭」
1895年の新年にドリーへの贈り物として書かれた作品です。ゆったりと横に流れるような自由な旋律に、絶えず色を変える和声や複数の声部が繊細に絡み合うことで、イキイキとした庭の様子が映し出されます。一見単純に見える穏やかな旋律の中で、転調や対位法的な動きが次々と変化していきます。
第6番 「スペイン風の踊り」
組曲の最後を飾る本作品は、19世紀フランスで親しまれていた「スペイン的な」語法を取り入れた華やかな作品です。急速な三拍子の中に鋭いアクセントや力強い和音が現れます。組曲の中でも、これまでの親密で家庭的な小品とは異なる、外向的な作品で祝祭的な性格もっています。フォーレの作品の中でも、スペイン趣味をこれほど表に出したものは珍しく、組曲全体でもひときわ印象的です。最後には、次第に高まりを見せ堂々とした空気の中、全体を締めくくります。
中田喜直(1923-2000)は、日本語の響きや季節感を大切にし、調性を基盤とした親しみやすい旋律によって、数多くの童謡や歌曲、器楽曲を残した作曲家です。
本作品は、1977年に、児玉幸子・邦夫夫妻のピアノ連弾リサイタルのために作曲されました。当時、難解さを増していた現代音楽の風潮に疑問を呈し、自作の歌曲や童謡、日本で親しまれていた歌を素材として取り込みながら、聴く人にも親しみやすい現代作品を生み出そうと試みました。全6曲からなる作品の中には、それぞれの季節にまつわるさまざまな歌が姿を現します。しかし、それらは単に引用されるのではなく、季節ごとに移り変わる空気や風景の中に溶け込み、新たな音楽の一部として組み直されています。また四手連弾という特性を生かし、歌の旋律とそれを取り巻く季節の情景とが二人の奏者によって重なり合うことで、ピアノ一台から豊かで奥行きのある音楽が生み出されています。
第1番 「春がきて、桜が咲いて」
春が訪れ、やがて桜が咲き誇るまでの移ろいを描いた作品です。冒頭は、厚みのある和音が響き、煌びやかな和声の移ろいの中で、自身の「さくら横ちょう」、文部省唱歌「春がきた」、父・中田章による「早春賦」が登場します。終盤には、再度冒頭の旋律がより広がった形で回帰します。少しずつ暖かみを増し、一斉に開花し桜が咲き乱れるような華やかな高まりを持って第1曲を締めくくります。
第2番 「五月晴れと富士山」
題名の通り、晴れ渡った五月の空を思わせる、清々しく開放的な作品です。ⅠパートとⅡパートで同じリズムを共有する場面も多く、ピアノの広い音域を用いることで、連弾ならではの伸びやかな表現が生まれています。特徴的な逆付点のリズムは、澄み切った空気の中で音楽に推進力を与えます。最後には「ふじの山」の一節である「富士は日本一の山」の旋律が堂々と現れ、広々とした景色の中にそびえる富士山を描きます。
第3番 「長い雨の日と、やがて夏に」
季節は梅雨へと移り変わります。冒頭は、Ⅰパートのオクターブの分散によって鬱屈とした長雨が表現され、その途中から中山晋平の「あめふり」の旋律が挿入されます。本来は明るく親しみやすい歌ですが、ここではどこか気だるく、雨の中に閉じこもった重々しい表情を見せます。やがて厚く覆っていた雲が次第に薄れていくように、音楽にも次第に光が差し込みます。最後には自身の「夏の思い出」が現れ、長い梅雨の終わりとともに夏の到来を告げます。
第4番 「さわやかな夏とむし暑い夏と」
冒頭には小山作之助の「夏は来ぬ」が現れ、爽やかな夏の訪れが歌われます。しかし、その明るさは長くは続かず、不協和の響きや半音階的な旋律の動きが音楽を覆い、蒸し暑い夏と台風の季節へと移り変わります。やがてⅠパートとⅡパートが各々、7連符と6連符の別々の細かなリズムを奏で、それが重なり合うことで音楽は高まり、ついにはクラスター音によって嵐は頂点へ達します。その後には一転して静けさが戻り、過ぎ去った夏の向こうに秋の気配が見えてきます。
第5番 「初秋から秋へ」
冒頭は、自身の「ちいさい秋みつけた」を思わせる音型から始まり、やがて岡野貞一の「紅葉」の旋律が流れ、ひっそりとした秋の訪れが語られます。次第にその旋律は変奏され、高まりを見せる中で、小林秀雄の「まっかな秋」が重なり、音楽はさらに鮮やかな秋の深まりへと向かいます。最後には後奏が加わり、リズミカルで華やかな世界の後には静かな余韻が残され、冬を予感させます。
第6番 「冬がきて雪が降りはじめ、氷の世界に、やがて春の日差しが」
題名が示す通り、音楽は雪が降り始めた冬から、再び春が訪れるまでの時間の流れを描いた、最も規模の大きな作品です。「雪がふっているように」と記された冒頭には、Ⅰパートの細かな音の動きが、しんしんと降る雪を描写します。その中からⅡパートに、自身の「雪の降るまちを」の旋律が静かに現れます。やがて音楽は激しさを増し、流れ続ける分散和音は吹雪のような様相を帯びます。強烈な和音とともに凍てつく氷の世界へと一変し、その後、再び雪景色が戻ってきます。しかし、長い冬にも終わりが訪れます。春の日が差し始め、第1曲の冒頭の春の旋律が登場します。最後には、春の再来を祝うような華やかな響きの中で全曲が閉じられます。第1曲の春へと再び回帰することで、6曲は単なる季節の描写にとどまらず、一つの大きな流れとして有機的につながった季節の循環を表現します。日本の馴染み深い歌と、中田喜直自身の音楽語法とが重なり合った魅力的な作品です。